PROFILE生い立ちからこれまで

私は豊島区長崎で代々商売を営む家の娘として生まれました。
商店街の中で育ち、自然と地域のために役立ちたいという思いが生まれてきました。

学生時代に参加した内閣府の世界青年の船がきっかけで途上国の経済発展に興味を持ち、中国やケニアなどアフリカの国での研究活動を行い、ボランティ アにも参加しました。
青年海外協力隊での活動を通じて、現地の人々の生活に貢献することのやりがいを感じました。

その後、日本大使館で援助関係の仕事に就いたことがきっかけで、政治を強く意識しました。

帰国後、今度は生まれ育ったふるさと「豊島」のために貢献したいという思いで、平成27年の統一地方選挙に出馬。現在、多くの人との出会いをまた新たな活力として、日々奮闘しています。

EPISODE1:子供時代

政治を志し始めた

私が政治を志したのは小学校6年生の頃です。
父が選挙に立候補したことによって政治というものを身近に感じました。
その時から、どうやったら地域のために街の声を生かすことができるかということを考えていました。
どうやって、地域の声を吸い上げていくかということが私の中での、その頃からの課題となりました。

EPISODE2:高校時代

初めての海外で衝撃を受ける

高校1年生の時に、東京都が主催する洋上セミナーに参加して、中国を訪問しました。
初めての海外で貧富の格差を目の当たりにして大きな衝撃を受けました。
私達が交流した学生は富裕層の子供達で英語や日本語が堪能で、当時は高級であったマクドナルドで食事をしていましたが、上海の海にはまだ船の上で生活する海上生活者や路上には多くの物乞いの子供達がおりました。
初めての海外旅行で目にしたこの光景は、子どもたちが安心して生活でき、勉強できる環境を作らなくては、貧困の連鎖は断ち切れない、子供達が安心して暮らせる明日を作りたいと強く感じました。

EPISODE3:大学時代

ビジネスコンテストに燃える学生時代

大学4年生の頃に、友人たちと一緒に女性が在宅で子育て中でも仕事ができるような仕組みづくりを目指して、インターネットを通じた在宅ワークのビジネスモデル「20代女性のライフプロデュース業」を考えて起業を志しました。
平成17年、東京都学生起業家選手権、かわさき起業家オーディションなどで受賞しました。
結婚や子育てで仕事への考え方や時間の使い方が変わる女性のライフスタイルに対して新しい働き方(在宅や空いた時間を有効に活用しながら収入を得る仕組み)を提案したいと考えました。

EPISODE4:大学院時代

世界で通用する技術力を持つ日本企業の強みを学んだ

中国やアフリカの日系企業の工場を調査し、日本企業の人材管理の仕組みを研究しました。日本企業に対する品質の高さと信頼という高い評価は、人材の教育にあります。
江戸時代から識字率も高く、教育と礼儀や規律を重んじるという日本の特徴が、現在の日本企業にも強く反映されていると考えます。
世界中の日系企業の生産現場では、ミスを自ら申告し、職場が一体となって改善するというトヨタ方式を展開しています。
ミスをする人を責めずに原因を究明するという私達では当たり前のことが、世界では評価されます。私は、日本が世界に誇れる技術と日本人の美徳を子供達に残していきたいと強く感じます。

EPISODE5:青年海外協力隊

あきらめない精神を身に着けました

大学院を卒業したのち、青年海外協力隊で南国フィジーの保健省に感染症対策で派遣されました。
誰も知らない土地で医者や看護婦やボランティアの人たちと協力しながら感染症対策のプログラムを作り、ジャングルの中にある村への訪問や研修などを行いました。当初は、言葉が通じず、友人もなかなかできない中で戸惑いましたが次第に打ち解けられるようになって、仕事も順調に進むようになりました。
サイクロンによって村が壊滅状態になった時、復旧チームのメンバーとして現地スタッフと一緒に被災地に薬と食糧を届けに行きました。
村人たちからはとても感謝され、スタッフにも仲間として認められたときでした。
とにかく諦めずにひたすらコツコツやることをやれば理解してもらえると思いました。

EPISODE6:開発援助の仕事

地域の声を聴くことの大切さに気付きました

キリバス共和国、ツバル、フィジー共和国、バヌアツ共和国、ナウル共和国、で草の根協力調査員として地域住民のニーズに応え、学校建設や給水施設、環境センターの設立を手がけました。
例えば、キリバス共和国のクリスマス島のプロジェクトでは、小学校の教室が廃材で作られており、床もないため砂の上にござを引いて勉強している状況でした。小学校の建設が完了すると、子どもたちだけでなく、地域の住民、保護者がとても喜んでくださり、遣り甲斐を感じました。
地域の声を聴くこと、実現することが大きな喜びになりました。
日本に戻ってからも、地域住民の声を聴き、実現していきたいと強く感じました。

EPISODE7:現在〜

地域、そしてこの国の未来のために

豊島体育館で親子ふれあい体操教室を平成26年より主催し、子どもと保護者の子育てを応援しています。
また、地域活性化のため東長崎を中心に様々なボランティア活動にも積極的にかかわっています。
池袋消防団の団員として平成30年には女性だけのチームでポンプ操法大会に参加し、陸上自衛隊予備自衛官として英語を生かして訓練にも参加しています。
豊島区議会議員としても子育て支援、高齢者の健康長寿の実現、街づくりなど地域の皆様のお声を実現すべく日々、奮闘してまいりました。